ルパン三世『カリオストロの城』ご覧になられたことはありますか?
1979年12月15日に公開された映画でモンキー・パンチさんの漫画作品になります。
私もこの映画大好きなんですが一番驚いたことは、
脚本と監督が…あのジブリで有名な宮崎駿さんなんです!
この映画はアニメファンの間で絶大な指示を受けました。
1970年代につくられた映画にもかかわらずルパン三世の映画ではトップを争います。
この映画で有名となった言葉もあります。
『奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です』
ちょっとクサイ台詞のような気もしますが映画でのこのシーンは本当にかっこいいんです!
いかがですか?
この映画のこともっと知りたくなってきませんか?
今回は、
①カリオストロの城の時代設定
②この映画がジブリといわれる理由について
③カリオストロ城はどうやってできたのか
ご紹介していきたいと思います。
『カリオストロの城』時代設定は?
カリオストロの時代設定は1960年〜1970年代
理由は、映画にでてくる乗り物や武器などを調べてみるとよく分かると思います。
まず初めに、カリオストロの城でルパン三世が乗っているフィアット500という車は1966年まで生産されていました。
銭形警部が乗っている410ブルーバードというパトカーは1963年〜1967年まで生産されていたことが分かりました。
ぜひこれからご覧になる方はよく注目して見てみてくださいね。
『カリオストロの城』ジブリの理由は?
結論から言いますと『カリオストロの城』はジブリではありません。
ジブリで有名な宮崎駿さんの初監督作品は『ルパン三世カリオストロの城』です。
ということはこの作品はジブリでは?
と思われる方が多いと思いますが、そうではないんです。
理由は、
スタジオジブリの設立が1985年6月15日。
カリオストロの城の公開日は1979年12月15日。
この日付を見ると『カリオストロの城』はジブリができる前の作品だということが分かりますね!
そのため、『カリオストロの城』は確かに宮崎駿さんの初監督作品ですがジブリではありませんでした。
『カリオストロの城は』どうやってできたのか
『カリオストロの城』は宮崎駿さんが小学生の時に思いついた話なんです!
もう天才としか言えませんよね。
しかし宮崎駿さんは『カリオストロの城』の完成後、地面を這い回るような思いを経験したんだそうです。
その理由は、締め切りに間に合わせるために妥協しなければいけなかった。
妥協しなければいけなかったことが宮崎駿さんにとってかなりのダメージになったんだそうです。
初監督作品ということもあり、気合が入っていたからこそなのかもしれませんね。
そして『カリオストロの城』はヒッチコック方法論で作られました。
(※ヒッチコック方法論とは、ラストのシーンに向かってストーリーの構成を組み、シーンを綿密に組み立てていくこと。)
宮崎駿さんはこの『カリオストロの城』ヒッチコック方法論でつくられた作品に対しこのように語っています。
https://ghibli.jpn.org/report/cagliostoro/
この方法は最初で最後ということですね。
とっても素晴らしく1970代につくられたものにもかかわらず今でも愛されているこの作品は本当に素晴らしい作品だと思いました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
『カリオストロの城』は1960年代〜1970年代の時代設定でした!
今はお目にはかかれませんが、その時代の武器や車、人々の生活はみているだけで引き込まれるものがありました。
そして『カリオストロの城』はジブリ作品ではありませんでしたね。
宮崎駿さんの初監督作品ということもあり、多くの方が一度はこの作品をジブリだと思われたことがあるのではないでしょうか。
ちなみに私もずっとジブリだと思っていました(笑)